Year Of The Tiger 〜まいちゃをたずねて三千里〜 1

はーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーるばる来たぜスポケーン〜〜〜!

というわけで、去るGWにまいちゃ(マイルズ・ケネディ)のソロツアーを見にアメリカはワシントン州スポケーン(とシアトル)に行ってきた225です。このブログを読んでくださる奇特な方は、だいたい私の好みを把握しているはずなのであんまり説明は不要かと思いますが、念のためお伝えしておくと、まいちゃはこの2018年に初めてソロ・アルバム「Year Of The Tiger」をリリースしました。(おめでとーう!)ソロ・アルバムを作り始めたのは遡ること2009年。制作過程についてはそれまでのインタビューでも何度か触れられていましたが、ファンの間ではある意味「幻」扱いでした。生きている間に出してくれればラッキー、的な。それがいよいよ現実味を帯びてきたのが2016年。インタビューでソロ・アルバムについて聞かれるたび、まいちゃの答える内容がかなり具体的になってきたり、SNS無精なまいちゃがレコーディング風景の写真をSNSにアップしたりするもんだから、ファンはみんなソワソワしていました。


〈"トラッキング最後の瞬間"をインスタに上げてファンの期待を煽るまいちゃ〉


しかーーーし!

2016年の12月。あまりにも寝かせすぎて「なんか違う」と気付いたまいちゃ。すでにほぼ完成していたアルバムを「やーめた」となかったことにしてしまいました。出す出す詐欺。

彼の言によると「作った曲たちの賞味期限(有効期限)が切れた」とのこと。つまり、今の彼の心境にそぐわないと判断したのです。確かに、2009年からじゃぁ7年も経ってるもんね。。本当はもっと早く出せれば良かったんだけど、まいちゃはあちこちに引っ張りだこで超多忙。自分のバンドAlter Bridgeもやりつつ、スラッシュと一緒にSMKCのアルバム制作・ツアーがあり、合間には他のアーティストとのコラボもこなしていたので、とても自分のプロジェクトを進めるようなまとまった時間は取れなかったのが最大の要因。作った楽曲がおじゃんになってしまったのは勿体ないけど、彼のアーティストとしてのこだわり(妥協したくない)もわかるので、仕方ない。いつか何かのタイミングでリリースしてくれることを祈ります。


で、まいちゃはイチからやり直すことに決めました。エライ。2016年の12月から、だいたい7ヶ月ほどかけて新しいアルバム用の楽曲を作り上げます。それをまとめがのが「Year Of The Tiger」です。

〈Year Of The Tiger制作現場より。二度目の正直で余裕の?笑み〉


Year Of The Tigerとは読んで字のごとく「寅年」のことです。なんで寅年か?それは、まいちゃのお父さんが亡くなった年(1974年)のことなのです。さあ、こっから長くなりますよ。

〈まいちゃの裸足が見られる貴重なアー写〉Credit to the owner


まいちゃは1969年11月27日、アメリカのマサチューセッツ州ボストン生まれ。両親ともに、クリスチャン・サイエンスの信者でした。日本ではあまり聞きなれないけど、キリスト教の一派らしい。(日本にも教会があるみたい)本拠地はボストンなので、まいちゃ家族はそのお膝元に暮らしていたことになります。まいちゃのお母さんについては分からないけど、少なくともお父さんはとても敬虔な信者だったみたいです。


クリスチャン・サイエンスがどんなものか詳しくは分かりませんが、ウィキペディアによると、創始者はその著書の中で「全ての病気の原因は心的なものであり、人間の病気の本質は心の中の虚偽とか幻想から起るとし、それを取り除くためには神とつながる霊的理解によらねばならぬ」と唱えていたとのこと。乱暴な言い方をすると「病気を治したきゃ神に祈れ」ということです。


で、まいちゃのお父さんはこれを忠実に実行しました。虫垂炎にかかったのに医療による治療を受けず、神の手に委ねたのです。薬ではなく神が病を癒してくれると信じていたのです。しかし症状は悪化。おそらく腹膜炎も併発したのでしょう。最後まで神を信じ続け、1974年(寅年)にわずか34歳の若さで亡くなりました。まいちゃが4歳の時でした。


その後、大黒柱をなくしたまいちゃの家は空き巣に入られ、お父さんの大事にしていたステレオ(彼も音楽を嗜んでいました)など思い出の品も盗まれてしまいます。まさに泣きっ面に蜂状態。「もうここには居られない」と思ったまいちゃ母は、子供を連れてボストンを離れることを決意します。その後はウィスコンシン州に数年いたそうですが、やがて知り合ったアイダホ州に住むクリスチャン・サイエンティストではない聖職者の男性(グレン・ケネディ)と再婚。その後ワシントン州スポケーンに移住します。まいちゃとその弟は養子に迎えられ、ケネディ姓を与えられました。マイルズ・ケネディの誕生です。ちなみに、まいちゃのフルネームはマイルズ・リチャード・ケネディ。実父の名前はリチャード・ベース。つまりまいちゃはミドルネームを実父から、姓を養父から引き継いだんですね。


とまぁ、まいちゃの生い立ちをいろいろ説明してきましたが、彼のソロ・アルバムの内容がまさにこの生い立ちを語っています。まいちゃの実のお父さんが亡くなってから、辛く悲しい時を経て、やがて希望の光が再び差し込むまで。アルバムを順を追って聞いていくと、とても分かりやすいです。(詳しい楽曲解説はいろんなインタビューがあるので省略します。日本語で読みたい方は雑誌BURRN!の5月号のインタビューがオススメ)

〈2017年10月にRoyal Albert Hallにて撮影されたアー写。美人〉Photo by Christian Barz


しっかし曲の内容があまりにもパーソナルで、「ここまで晒していいの?」とこっちが心配になるほど。まいちゃがAlter Bridge以前にやっていたバンドThe Mayfield Fourもそうですが、彼は自分が実際に傷ついたこと、悲しかったことなどを音楽でストレートに語るのがめちゃくちゃ得意です。もはや天才。(なんか日本語が変)インタビューでも度々語っていますが、彼は曲や歌詞を作る際に「正直であること」をとても重視しています。隠したり、誤魔化したりといったことをしたくない。いや、出来ない。痛々しいまでに自分の心を裸の状態で世界に差し出します。純粋でまっすぐで、本当はとても壊れやすいのに、それでも一切の鎧を排除してありのままを提示するのが彼の音楽への向き合い方。まいちゃの音楽やまいちゃ自身に魅了されているファン(私含む)はおそらく、そんな彼の誠実かつ不器用な人柄を愛してやまない人が多いのではないでしょうか。(私は顔面も好きです)


と、相変わらず本題に入る前に長くなってしまったのでこの辺で。続く〜

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