1年前の今日のこと
1年前の今日、父が亡くなった。
風がなくてよく晴れた、気持ちの良い日だった。
カラッとしていて、暗いところがない
父の性格そのものみたいな日だった。
あと一ヶ月で67歳の誕生日だったのに、
急いで逝ってしまった。
そういえば、生きている時からせっかちだったな。
せっかちで、喧嘩っ早くて、怒ると怖かった父。
一方で細かいことには頓着せず、楽天家で、
面倒見が良く、義理を重んじ
言い訳をしない潔い性格だった。
今でも鮮明に蘇る
むくんで冷たかった父の手の感触。
家族と話し合って臓器提供を決めた日。
それなのに不思議なことが起きて
脳死判定が白紙に戻った朝。
その時の深い安堵感。
病院の前ですれ違った黒猫。
新幹線に乗る直前の病院からの呼び出し。
タクシーを降りてから病室に着くまでの
異様に長く感じた距離。
父、母、弟と過ごした静かな2時間半。
弱くなっていく父の心拍と
どんどん下がっていく私の体温。
そして最期の時。
父の枕元に置いた私のスマホからは、
カーペンターズのTop Of The Worldが流れていた。
父の亡骸と一緒に地元に帰る道すがら、
私はずっとマイルズの歌を聴いていた。
In Loving Memory, Love Can Only Heal,
Blackbird, Nothing But A Name...
悲しい歌ばかり聴いていた。
でも「悲しい」という感情はなかった。
心の中はからっぽ。
何もなかった。
この時私が学んだのは、
何か大切なものを失った時、
人は頭では何も感じないということ。
悲しい話や可哀想な話を聞いた時に感じる、
胸が痛むような感覚もなく、ただ目から
勝手に涙が流れてしまうということだった。
もし輪廻転生があるなら、父の次の人生が
もっと楽しくて長いものになるといいなと思う。
私の知る限り、父は楽しくやっていたけれど、
若い頃はとても苦労したと母から聞いた。
中学卒業と同時に働かなくてはならず、
10代で母親を、20代で父親を亡くしていた。
駆け足で大人にならなくてはいけなかった。
次の人生ではちゃんと子供らしく、
そして若者らしく、自分のやりたいことに
時間を使えるような人生になりますように。
最近借りて見た映画『リメンバー・ミー』の中で
"生者に忘れられた死者は、死者の国からも消滅する"
という概念が描かれていた。
いつか私が死んだら、私が持っている父の記憶は
完全に消えてしまう。
まるで無かったのと同じになってしまう。
そう思ったら、なんだかとても寂しく感じた。
記憶、というのは誰かが生きていた証。
いつか消えて無くなってしまうとしても、
せめて私が生きている間は、父の記憶を
大切にしようと思った。
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